友人ともう縁を切ろうかなと思う時ーカントの定言命法第二式に寄せてー

高校を卒業して以降、どんなに仲の良かった友人でもなんかこいつともう付き合わなくてよいかなと思ってしまう経験を多くしています。

その経験を思い出してみて、それらの経験に共通することは何かと考えていたのですが、今日カントの倫理学について勉強していたところ、彼の考え方を使って説明できそうなので、ちょっとまとめたいと思います。

 

カントの定言命法第二式

定言命法とは、私の理解する範囲では、理性的な存在であれば絶対的に従うことになる規範のことです。彼からすると、この規範は一つしかないらしいのですが、それを三つの言い方で言い換えています。定言命法第二式とはその二番目の言い方のことです。

それは、ざっくりいうと「人間を手段としてのみ扱ってはいけない。常に人を目的として扱いなさい」というものです。まだもう少し説明が必要だと思うので、伊勢田先生の本から引用します。

 では単なる手段として使うというのは(そしてその反対の目的自体として扱うというのは)もうちょっと説明するとどういうことなのだろうか。これについてのカントの説明はわ分かりにくいのだが、現在のカント流倫理学のスタンダードな考え方では、相手が認めないような目的のためにその人を利用することを指す。一般に、他人の支配下にあるものを勝手に自分のものにする(もっと簡単に言えば「盗む」とも言う)、他人にうそをつく、他人を殺すなどの行為は、相手が承認しないようなことを、自分の利益のために相手に対して行っているわけで、相手を単なる手段として使っていると言ってよいだろう。

伊勢田哲治著『動物からの倫理学入門』名古屋大学出版会 p.29

 これ以上わかりやすい説明はないと思うので、先に行きます。

 

私が友人ともう縁を切ろうかなと思う時

上の定言命法第二式は理性的に物事を判断できる人なら、誰でも守らないといけないルールということになっています。それが正しいのかどうかは置いておいて、私が「ああ、もうこいつと絶縁していいかな」と思う時は、基本的にその友人がこの第二式を破っている時、すなわち私が認めていないような目的の手段として、友人が私を使っていることがわかった時だということがわかってきました。

このような場合に直面すると、それまではその友人と息が合っていたり、楽しさを共有できたりしていた感じが、完全に消え去り、もう二度とその友人とは楽しい時間を共有できないような、というか共有しようという気が起きないような、そんな感じになってしまいます。対等な人として扱われている感じがしないのです。

事例集

たとえばどんな時か。箇条書きで書いておきますね。

  • ある友人Aの誕生日パーティに呼ばれたので、彼の大学時代の友人として唯一参加した(他はほとんどAの職場の知り合い)。まあ私はA以外に知り合いもいないので、お酒飲んで酔っ払って、わーわー騒いでとりあえず盛り上げ役(?)のようなものをした(つもりであった)。私には時間もお金もなかったので、一次会が終わった段階で、「もう帰るね」と言ったところ、彼は「ありがとう!いいスパイスになったと思う!」スパイスとして呼ばれていたのでしょうか。
  • ある事情で講師数人分の仕事をこなさないといけなかった時、塾の事務がヘマをやって、仕事が増えてしまった。講師の私は何も悪いことをしていない。まあでも仕事は仕事なので、深夜にせっせと準備をしていたところ、その事情を知っている塾の事務でかつ私の友人である女性から(この人はヘマをした人ではない)メールが。私を心配して大丈夫?と聞いてくれている。大丈夫でないと答えても何にもならない。そこで大丈夫だと答えたところ、返ってきた返信は「はあ、その言葉に私が救われる〜」私は君を救うためにメールを返したのではない。