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【論文紹介】重度うつのトルストイが言った、「人間は皆いつか死ぬのであるから、人生に意味はない」この認識は正しいのだろうか。

たまには哲学の大学院生らしく、論文紹介をします。

Matthew Ratcliffeという人が書いたEvaluating Existential Despairという論文です。

Emotion and Valueという本に載っています。

 

Emotion and Value

Emotion and Value

 

 トルストイの井戸

トルストイには重度のうつ病だった時期があるらしく、その時に書かれた本として『懺悔』が紹介されています。この中で彼は、人生が有意味であるということの可能性すら感じられなくなってしまった、と語っています。しかもそれを東洋の寓話を下敷きにして書いています。その東洋の寓話が私はとても好きですので、それをラトクリフが紹介している部分をちょっと訳します。

ある旅人は獣から逃げ、そして井戸の中に入って安全を確保しようとした。しかし井戸の底にはドラゴンがいることがわかり、その旅人は上にも下にもいけなくなってしまった。井戸の壁から木の枝が生えていて、旅人はそれに捕まる。しかしその枝には、二匹のネズミが(一匹は白く、もう一匹は黒い)は順番にかじりついている。避けられない死を待つ間、旅人は枝から出てくる蜂蜜をなめて、自分を自分を慰める。その甘さで自分の苦境を忘れることができるのだ。

そして「トルストイは、困ったことに蜂蜜が甘くなくなってしまった」のです。

(いうまでもなく、白いネズミと黒いネズミは、昼間と夜間を表しています。木の枝が人生。枝から出る蜂蜜は人生で我々がやっていること)

 

懺悔 (岩波文庫 赤 619-0)

懺悔 (岩波文庫 赤 619-0)

 

 

彼の「何をやっても人生は無意味である」という認識は正しいのだろうか

ここでラトクリフは、トルストイのこの認識が、果たしてうつという感情状態によってもたらされた天啓なのか、それともより信頼性の高い感情状態がなくなったことで生じた誤りなのか、を問います。彼の目的は、あくまでもトルストイの絶望が誤りだと示すことです。

トルストイの絶望が正しいことをなかなか否定できない。

ラトクリフは4つの戦略によって、トルストイの絶望が誤りであることを示そうとします。

  1. うつは病気であるから、病気から生じる認識は間違いと言えるのではないか
  2. うつによって判断能力が下がるから、この絶望は誤りなのではないか
  3. 死すべき運命の認識と人生への絶望の間には飛躍があるのではないか
  4. トルストイの絶望はある種の能力が欠如することで生じているのだ

この4つの戦略です。しかしどの戦略もそこまで有効ではなく、トルストイの絶望が正しいのだと反論できる余地が残ってしまいます。

それでも人生のある種の行為は肯定できる

それでは我々の人生にやはり意味はないのでしょうか。ラトクリフはそうとも言い切れない、と主張します。うつ病の人が人生は無意味だというとき、自分一人が人生において何をするのか、という観点で人生の意味を考える傾向にあることを、彼は指摘します。

たとえ自分はいつか死ぬのだと思ったとしても、そしてそこから自分がこの人生で何をしても無意味なのだと感じたとしても、自分のそばにいる人を気遣うことでさえも無意味になる理由はない。対人的なケアは有意味なものとして残りうる。

彼はこう結論付けて、トルストイの絶望に対する部分的な応答を終えています。