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【簡単な書評】Embodied Cognition (Shapiro, 2011)

Embodied Cognition(Shapiro,2011)のまとめ

Embodied Cognition (New Problems of Philosophy)

Embodied Cognition (New Problems of Philosophy)

 

 

標準的な認知科学(standard cognitive science)の特徴づけ

・精神がどういう働きをしているのか、に関心がある。

・その働きは計算であると考えている。つまり表象の操作である。

・しかしその表象が持つ情報だけでは認知を十分に行うことはできない。それを補うために、認知は世界に関するある仮定にも基づいている。

・脳の中でのみ認知の過程は起きているという前提に基づく。

 

 

身体化された認知(embodied cognition)には3種類ある

・概念化仮説(Conceptualization):人間が世界を分節化して理解する際に用いる概念は、人間の身体的特徴によって規定されている。例えば、人間の錐体細胞のあり方とその働きによって、色の区別が決まっている、など。この仮説を推し進める人は、人間の認知とは独立に存在する世界を想定することはできないと考えている。

・置換仮説(Replacement):標準的な認知科学が使っている表象や計算といった道具立ては無用である。そういったものを想定しなくても人間の認知を説明できる。それは、人間の認知は神経組織と身体と世界の間の相互作用によって行われている、という説明である。認知が行われている時、人間は世界と直接やり取りをしているので、表象をする必要がない。また知覚が直接行動に反映されるような機構を想定できるため、計算の必要もない。実際にこの理念に基づいたロボットが作成されており、このロボットは散らかったオフィスの中を進み、机の上から空き缶を拾って、正しい場所に捨てることができた。

・構成仮説(Constitution):人間の認知は脳の中だけで起きているわけではない。神経組織、身体、世界の間の相互作用で起こっている。そしてこのシステムの中では、アウトプットがまたインプットになり、新たなアウトプットを生み出すようになっている。この点で、身体や世界は認知を生じさせるもの(cause)ではなくて、認知を構成するもの(constituent)である。

 

筆者によるそれぞれの評価

・概念化仮説(Conceptualization):この仮説の支持者が標準的な認知科学に対して行う批判は、標準的な認知科学にとって実は屁でもない。彼らの要求を含むような形で今まで通り研究をすることができる。また、この仮説の支持者たちが依拠している実験結果は、標準的な認知科学でも十分説明できるものである。今までの認知科学の成功を考えるに、認知科学を捨てて、概念化仮説を採用する理由はない。

・置換仮説(Replacement):認知科学者は、置換仮説に表されるような考えによって、認知のうちのいくつかが、従来の認知科学がするよりも、うまく説明できるということを認めないといけない。しかし、この置換仮説によって、認知の全てが説明できるかどうかには疑問が残る。人間は、世界と直接コンタクトしていないときにでも、認知を行っているからである。したがって、そういった認知に関しては、従来の認知科学の方がより良い説明ができるであろう。

・構成仮説(Constitution):実はこの仮説は従来の認知科学と競合しない。この仮説の提唱者は、認知の構成物が脳の外に存在していると考えた方がより実情にあった説明ができると言っているだけなので、認知科学はこういったものも組み込めるように、従来の説明ツールを少し変更してやればいいだけ。

 

私の中でのこの本の位置付け

この本を読むまでは、私は「認知科学VS身体化された認知」と、両者を対立構造の中でのみ、理解していた。しかしこの本は、身体化された認知という言葉でひとくくりされかねないアプローチを3種類にわけ、それぞれを認知科学と比べ、その関係を調べることによって、上記の対立構造を、分解している。つまり、「認知科学VS概念化仮説」「認知科学VS置換仮説」「認知科学VS構成仮説」という形で。最初の対立については、認知科学の勝利。二つ目については、分野によってどちらが優れるかは異なる。三つ目については、むしろ対立ではなく、手をとって研究を広げていきうる関係にある、と結論づけている。この最後の結論に関しては正直言ってかなり衝撃的だったが、納得できるものであった。